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きょうの道具紹介
前回振り返ったように、ずっと相棒としてやってきたカメラは「NikonD3300」。10年という月日をその一台と共に歩んできた。 自由で曖昧な旅の時間を救い上げてくれたのはいつもあの真っ黒で小さな一眼レフだった。
10年という節目は、道具にとっても使い手にとっても一つの区切りになる。 シャッター幕が降りる音にどこか重なり合う年月を感じるようになった頃、私の心は新しい相棒を求め始めていた。ハードに扱ってきたD3300を休ませてあげても良いのではないか。
そう思っている時に出会ったのが「NikonZfc」。
初めてその姿を見たとき、直感的に「あ、これはドンピシャだ」と思った。 最近のミラーレスカメラはどれも高性能で合理的。握りやすさを追求した深いグリップ、効率的に配置されたボタン類。けれど、私が求めていたのは効率ではなかった。
私の旅のスタイルは写真を撮るために目的地を決める「撮影旅」ではない。あくまで主体は旅そのものであり、道中の空気や高揚感、なんでもない瞬間を切り取ることにある。
Zfcのフィルムカメラを思わせるヘリテージデザインと、手に余らないコンパクトなサイズ感。それは私の「旅を邪魔せず、けれど記録を深くする」というわがままな理想に驚くほど合致していた。
きょうはD3300からバトンを受け取ったこの新しい相棒、NikonZfcとの日々を少し綴ってみたいと思う。
道具のひとコマ
境界線を溶かすカメラ

このカメラを連れ出して真っ先に感じたのは、被写体との間に流れる空気が変わったこと。
かつてのD3300も一眼レフとしては小さかったが、やはり「カメラを構えています」という特有の緊張感がわずかに漂っていた。特に被写体が人の時にはカメラを強く意識されることが多かった。
だけどZfcはその可愛さゆえか、カメラが持つ威圧感を不思議なほど中和してくれる。 沖縄の離島で出会った猫を撮るときも、旅先で見かけた何気ない商店の店先をスナップするときも、Zfcは周囲の景色にすっと溶け込んでいく。
それはまるで高機能な精密機器を持ち歩いているというよりも、お気に入りの文房具や長く使い込んでいる革小物を持ち歩いているような感覚に近くて。この境界線のなさこそが私の写真をより素直なものに変えてくれた気がする。
BMWの助手席が定位置
私はよく愛車のBMW2シリーズグランクーペで一人ドライブに出かける。その時、助手席にはZfcをそのまま置いておくことが多い。カメラバッグにもいれず、まるで一緒にドライブを楽しむかのようにカメラを助手席に置いている。
夜のドライブ、街灯の光が車内に差し込んでZfcのシルバーのダイヤルを鈍く光らせる。その景色を見るとお気に入りの道具に囲まれた空間を意識して少し気持ちが高鳴る。お気に入りの車で走り、お気に入りのカメラで撮る。その二つの楽しみをZfcは高い次元で繋いでくれている。
指先に残るクラシカルな感触
Zfcの最大の魅力はその操作感にあると思う。上面に配置されたシャッタースピード、露出補正、ISO感度の独立したダイヤル。今のデジタルカメラならタッチ操作や一つのボタンで済んでしまう操作を、あえて一つひとつ指先でカチカチと回す。
この一見すると非効率なプロセスが最高に楽しい。日常生活は忙しくて効率を追求することが重要となることも少なくないけど、旅の時間くらいはもっと迷いたい。ダイヤルを回して自分の意図をカメラに伝えていくその時間は、とんでもなく贅沢な時間。充足感に満ち満ちている。
そして、シャッターを切った瞬間の「カシャッ」という音。 それはiPhoneのカメラから鳴る電子的な音でもなく、D3300のミラーが跳ね上がる音ともまた違う、昔を感じさせる響き。この音が聞きたくて、私はまたなんでもない路地裏で足を止めてしまう。
旅先で感じたこと
このカメラを手にしてから旅の記録はより感覚的なものになった。 高性能なレンズで解像度を追い求めるのではなく、その場の雰囲気や空気、光の柔らかさをそのまま閉じ込めるような。それはZfcという道具が持つ独特の魅力に影響されているのかもしれない。
いいところ
まず挙げたいのは、やはり「持ち出しの心理的ハードル」の低さ。 「今日は重いから持っていくのをやめようかな」という迷いが、このカメラに変えてから一度も起きていない。これは旅の記録を残す人間にとって何物にも代えがたい性能だと言えると思う。
次に、スナップ撮影における自然さ。 カメラが可愛いからなのか、レンズを向けても周囲に警戒心を与えない。むしろ「素敵なカメラですね」と会話のきっかけになることすらある。道具が人と人を繋いでくれる。そんな体験は珍しい。これまでのカメラではあまりなかった気がする。
惜しいところ
もちろん、手放しで完璧と言い切るつもりはない。 多くのユーザーが指摘するように、グリップのなさは確かに心許ない瞬間がある。D3300のような一眼レフ特有の手に吸い付くようなホールド感を期待すると最初は戸惑うこと間違いない。
しかし、私はこれを基本に立ち返ればなんともないと捉えている。 左手でレンズをしっかり支え、脇を締め、丁寧にシャッターを切る。かつてのフィルムカメラを愛した人々が当たり前に行っていた作法をこのカメラは私に要求してくる。 その不便ささえも道具を使いこなすという愉悦に変えてくれるのが、Zfcの魅力なのかもしれない。
そっと置いとく、豆知識
ヘリテージデザインの系譜
Zfcのデザインベースとなったのは1982年に発売されたニコンの名機「FM2」だと言われている。 単なる懐古趣味ではなく、ニコンというメーカーが歩んできた歴史を現代のZマウントという最新規格にパッケージした。その姿勢には筋の通った美学を感じる。
意外なタフさとNikonの信頼
「可愛い」と言われることが多いZfcだけど、その中身はやはりNikon。多少ハードなドライブ旅でも、沖縄の湿った風の中でも、このカメラは一度も音を上げることなく私の意図に応え続けてくれている。 「道具は長く使う。そして育てる」 私のその信念を、このカメラはしっかりと受け止めてくれるだけの強度を持っている。
次の旅へのおとも予想
かつての相棒D3300は、今はお散歩カメラとして私の日常をゆっくりと見守ってくれている。代わりにこれから私の気まぐれな旅に付き合ってくれるパートナーはこのZfc。
D3300と一緒に歩んだ10年間。あの頃はまだまだ初心者で、手探りで世界を切り取っていた。 今は少しだけ大人になって、自分の視点というものを持ち始めている。そんな今の私にZfcという相棒は驚くほどしっくりと馴染んでいる。
次にZfcを連れ出すのは、北の静かな雪景色の中だろうか。それとも、またBMWを走らせて夜の都会の光を撮りに行くのだろうか。 作品という大仰なものではなく、私の人生の一部として、作品よりも近く記録より深く。Zfcのダイヤルを回すたびに新しい物語の1ページが刻まれていく。その音が今から楽しみで仕方ない。

